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福島地方裁判所 昭和23年(行)29号 判決 1948年11月05日

原告

橋谷田千代壽

被告

福島縣農地委員會

主文

原告の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負擔とする。

請求の越旨

被告が原告の別紙物件目録記載の農地買收計畫に對する訴願についてした裁決を取り消し、福島縣耶麻郡山鄕村農地委員會が定めた右農地買收計畫を取り消せ。訴訟費用は被告の負擔とする。

事實

原告は、請求原因として、山鄕村農地委員會は昭和二十二年十一月二十一日、原告が昭和二十年十一月二十三日現在において不在村であつたとの理由で、當時の耕作人訴外貝沼德義の一方的申請により原告所有の別紙物件目録記載の農地を買收計畫に入れたので、原告は、昭和二十二年十一月二十八日同農地委員會に異議の申立をしたが、昭和二十三年一月十七日原告はまだ歸村せず將來農に精進しないものとの理由の下に却下された。よつて、更に同月二十七日被告に訴願したが、原告は、昭和二十年十一月二十三日現在において不在村であり、小作人貝沼德義に一時貸したものとは斷ずることができず、又昭和二十二年度の小作料も受領していて、合意解約の手續もないとの理由の下に棄却され、昭和二十三年四月二十六日その旨の通知を受けた。しかるに、山鄕村農地委員會が定めた右農地買收計畫及びこれを支持する被告の裁決には左の如き違法がある。

(一)原告は、本籍地福島縣耶麻郡山鄕村大字磐見字田麥乙千五百五十番地の農家に生れ、二十三歳まで農業を營み、明治四十三年警察官吏を拜命して以來、三十餘年間勤續し、その間子女八名を養育した。昭和十六年薄給では到底生活することができないので、亡父の遺産である別紙物件目録記載の農地を自作しようと決心し、諸農具を買い入れたりしてその準備をした。たまたま、今次の戰爭のため長男實、次男勝男が召集されて(長男は、昭和二十年十二月二十八日歸還、次男は昭和十七年十一月戰死)、一大障害となつていたが、當時の小作人訴外物江源次郞に事情を話して圓滿に農地を返還して貰つた。一方、警察官吏退職の辭表を提出したが、現職巡査の召集による缺員多數のためその辭表はいれられなかつた。やむなく妻子を歸鄕させて耕作中、訴外福地直衞の申込により昭和十六年乃至昭和十八年の三年間共同耕作しその間生産米の供出の義務も果した。次いで、貝沼德義からその長女が嫁に行くまで一、二年間耕作させてくれとの申込があつたので、一、二年間原告が退職歸村するまでとして一時耕作を認め、昭和二十一年三月退職の宿望を達し、農地を返還して貰い、自作農創設のため家屋建築、農具買入等その準備をし、現在その一部を耕作中である。このように、原告が昭和二十年十二月二十三日現在において不在村で自作できなかつたのは、やむを得ない原告の警察官としての公務就任、長男、次男の召集及び三女悅子、四男千代美の就學のためであり、これはまさに自作農創設特別措置法施行令第七條に該當するものである。從つて、自作農創設特別措置法第五條第六號に反する違法がある。

(二)原告所有の右農地が買收されるにおいては、原告の文化的な最低限度の生活を營む權利が奪われ、不當に原告の財産權が侵害される結果になる。從つて、日本國憲法第二十五條、第二十九條に反する違法がある。

從つて、請求の趣旨通りの判決を求めるため本訴提起に及んだのである。なお、原告は當六十歳で無職、妻當五十五歳、三男當二十四歳中學校敎諭の三人で田村郡小野新町に居住し、同所を生活の本據としている。長男は當三十歳で妻當二十五歳とともに平市に居住し某材木屋に勤めている。三女は昭和二十三年一月ごろから時々本籍地の實家にやり、農地の半分を耕作させていると陳述し、被告の主張事實中原告の主張に反する部分を否認し、自作農創設特別措置法施行令第七條にいわゆる就學、召集、公務就任の事由を自作農であつた者がこれに該當する場合に限定し、その子女がこれに該當する場合を除外する理由はない。原告は警察官就職前自作し、就職後は生家の實兄橋谷田千代儀が管理耕作し、原告の妻子は時々千代儀方に歸り農の手傳をして耕作していたが、千代儀が昭和八年ごろ家事都合上物江源次郞に小作させ、次いで原告主張のように福地直衞と共同耕作を營み、その後、原告の公務就任、子女の就學、召集によつて一時やむなく貝沼德義に耕作させるに至つたものであるから、原告は法令の認める自作農であり、農地は一時的小作地である。當時、原告は、不在であつたので、橋谷田千代儀が小作料を玄米四俵と口約して貝沼に耕作させたものであるが、貝沼は、その約束を實行せず、昭和二十二年十二月縣の役人に對し、同年度の小作料金は居村富田富雄を介して届け出たと虚僞の中立をする等信義に反するものである。山鄕村農地委員會が原告を歸村して農に精進する見込あるものと認めないで買收計畫を定めたのは、同委員會の某委員と買收申請人貝沼德義と通謀し、原告に對する惡感情から發したからであると附演し、立證として、甲第一乃至第十三號證を提出した。

被告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、原告主張事實中、山鄕村農地委員會が原告主張の理由で本件農地を買收する計畫をたてたこと、原告が、その主張するように、異議の申立をしたが、却下されたので、更に被告に訴願したが、棄却されたこと昭和十六年まで物江源次郞が右農地を小作していたこと及び原告が警察官として約三十年間諸所に奉職したことは認めるが、その餘の事實は爭う。山鄕村農地委員會が右農地を買收する計畫をたてたのは、昭和二十二年十二月十九日である。それは、右農地の所有者である原告は、警察官として約三十年間諸所に奉職し、農地の所在地である山鄕村に居住せず、右農地は、貝沼德義が賃借耕作しているから、不在村地主の小作地としてこれを買收したのである。不在村地主の小作地が自作農創設特別措置法第五條第六號により、買收から除外されるのは、その小作地が自作農の自作地であつた場合に限られるのにかかわらず、昭和十六年まで本件農地を物江源次郞に小作させていたと、原告自ら主張することによつてみても、原告は、本來の自作農でなく、この農地も又原告の自作地でなく、從前から小作に出していたものである。又、昭和十六年當時は物江源次郞が小作していたが、次いで、昭和十六、七年は福地直衞が小作し、昭和十八年からは貝沼德義が小作料玄米四俵の定めで小作し、昭和二十年になつて期間を五年、小作料を玄米五俵と更改繼續して現在に至つているもので、一時的に小作に出したものではない。從つて、原告が貝沼德義に本件土地を小作させるに至つた事由は、自作農創設特別措置法第五條第六號、同法施行令第七條にいわゆる(一)疾病、(二)就學、(三)昭和二十年八月十五日以前の召集、(四)選擧による公務就任その他の事由で市町農地委員會が自ら耕作の業務を營まないことをやむなくさせた事由と認めて都道府縣農地委員會の承認を得たもののいずれにも該當しない。原告の子女の召集、就學があつたかどうか分らないが、この事由は前述の如く自作農であつたものがこれに該當する場合に限られるのである。原告は、選擧による公務就任以外のその他の事由、即ち、警察官としての公務就任のため歸農の意思はあつたが、辭職が許されないので、果すことができなかつたと主張するが、以前から小作に出していた農地であるから、そのため小作に出したとは認められないし、山鄕村農地委員會もこれをもつて原告がみずから耕作の業務を營まないことをやむなくさせた事由とは認めていない。その上同農地委員會は、原告が近く自作すること、その自作が相當であるとも認めていない。原告が昭和二十一年貝沼德義の娘が嫁に行つた機會に返地を受けたとか、營農用家屋建築、農具買入等をして農耕準備中だとかいうことはない。ただ昭和二十三年二月原告からのたつての求めに拒みがたく、貝沼は原告に訴願裁決までは手入をしない旨の一札を入れたことはある由である。從つて、山鄕村農地委員會が定めた本件農地買收計畫及びこれを支持する被告の裁決には原告主張の如き違法はなく原告の本訴請求は失當であると陳述し、甲第一、三、五、六號證の各成立を認め、同第一、五、六號證を援用し、爾餘の甲號各證の成立は不知と答えた。

理由

山鄕村農村委員會が、原告主張の理由で本件農地を買收する計畫をたてたこと、原告が、その主張の如く、異議の申立をしたが却下されたので、更に被告に訴願したが、棄却されたことは當事者間に爭いがない。

先ず、本件被告の裁決及び山鄕村農地委員會が定めた農地買收計畫が自作農創設特別措置法第五條第六號に反する違法のものであるかどうかの點を審案するのに、賃貸借又は使用貸借により他人の耕作の業務の目的に供された農地が買收から除外されるのは、自作農自身が、(一)疾病、(二)就學、(三)昭和二十年八月十五日以前の召集、(四)選擧による公務就任その他の事由で市町村農地委員會がみずから耕作の業務を營まないことをやむなくさせた事由と認めて都道府縣農地委員會の承認を得た等の事由によつて、その自作地についてみずから耕作の業務を營むことができないため賃貸借又は使用貸借により一時當該自作地を他人の耕作の業務の目的に供した場合で市町村農地委員會が、その自作農が近く自作するものと認め、且つ、その自作を相當と認める當該農地に限られることは、自作農創設特別措置法第五條第六號、同法施行令第七條の規定によつて明らかである。本件についてみるのに、原告は、本籍地山鄕村に生れ、二十三歳まで農業を營み明治四十三年警察官吏を拜命後生家の實兄橋谷田千代儀が本件農地を管理耕作し、昭和八年ごろから千代儀が物江源次郞に小作させていたが、昭和十六年薄給のため歸村して農耕を營む目的で農地の返還を受けた。一方警察官吏退職の辭表を提出したが、いれられなかつたので、やむなく妻子を歸鄕させて耕作中福地直衞の申込により、昭和十六年乃至昭和十八年の三年間(被告は昭和十六、十七年の二年間と爭う)共同耕作し、次いで、千代儀が小作料を玄米四俵と口約して貝沼德義に小作させたが、原告は、貝沼の申込により原告が退職歸村するまでとして一時小作を認め(被告は、原告が昭和十八年から小作料を玄米四俵と定めて貝沼に小作させ、昭和二十年になつて期間を五年、小作料を玄米五俵と更改繼續して現在に至つていると爭う)昭和二十一年三月退職の宿望を達し、農地を返還して貰い(被告は、貝沼は昭和二十三年二月原告からのたつての求めに拒みがたく、原告には訴願裁決までは手入をしない旨の一札を入れたことはある由であると爭う)、現にその一部を耕作中である。原告は現在妻、三男とともに田村郡小野新町に居住し同所を生活の本據としていると原告は主張するが、この主張自體によつて、原告は明治四十三年警察官吏を拜命して以來、少くとも昭和二十一年までは、本件土地をみずから耕作することなく、他に管理若しくは耕作させていた不在村地主であることが認められる。原告は、原告のやむをえない警察官としての公務就任と子女の就學、召集のため、自作することができなく、一時貝沼德義に小作させたと主張するが、自作農の警察官奉職、その子女の就學、召集は、自作農創設特別措置法施行令第七條第三號にいわゆる「その他の事由」として考慮される場合があるに過ぎないものであるところ、山鄕村農地委員會が、これらの事由をもつて、原告みずから耕作の業務を營まないことをやむなくさせた事由と認めて福島縣農地委員會の承認を得たものと認めしめるに足る證據がない。結局、原告が昭和二十年十月二十三日現在において不在村となり他に小作させるに至つた事由として主張するところは、自作農創設特別措置法第五條第六號に該當しないから、本件被告の裁決及び山鄕村農地委員會の定めた農地買收計畫には原告主張の如き右規定に反する違法がない。

次に、本件被告の裁決及び山鄕村農地委員會の定めた農地買收計畫が憲法第二十五條、第二十九條に反する違法のものであるかどうかの點を審案するのに、農地買收の目的は、要するに自作農創設特別措置法第一條にいわゆる「耕作者の地位を安定し、その勞働の成果を公正に享受させるため自作農を急速且つ廣汎に創設し、又土地の農業上の利用を增進し、もつて農業生産力の發展と農村における民主的傾向の促進を圖ること」にあるのであり、前項認定の如く、自作農創設特別措置法によつて本件農地が適法に買收の對象となり、しかも右買收によつて原告の生活の道を全く絶たしめる特別の事情の認められない本件においては、原告主張の如き憲法第二十五條、第二十九條に反する違法はないといわなければならない。

從つて、原告の本訴請求は理由がないから、失當としてこれを棄却し訴訟費用の負擔につき、民事訴訟法第八十九條を適用して、主文の通り判決する。

(目録省略)

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